鍵の刺さる音
お風呂に入っている時は「今日はこれを書こう」って散々思いつくくせに髪の毛乾かしてる間に全部忘れるタイプのロン毛ですおはようございます良い子は寝る時間。
土日は両日芸術鑑賞の名の下にライブハウスへ足を運びました。ええVの者の。
土曜日はDEVILOOF@渋谷サイクロン。
日曜日はNAZARExDEXCORE(O.A REVIVAL OF THE ERA)@池袋ブラックホール。
ライブハウスに行くようになってまだ13年程度なんですが。
同じ音楽を好む人でも、こんなにもいろんな世界から来ているものなのだなあと。ひしひしと。
ワタクシ、一般社会ではいわゆる「少数派」な枠に分類されるもので。
そも、この「一般社会」という言葉すら「一般」の定義から始めたい、と思ってしまう(それが少数派なんだそう)。
で、ヴィジュアル系なんて、「ヴィジュアル系」という言葉は聞いているけれども、中身を知らない人というのが世の大多数じゃないですか。
そんなマイナーな存在である、あの日あの場所に集まった人々も、いわゆる「少数派」なわけで。
そんな小さな括りの人々といえど、直感的に「住む世界が違う」と感じる人を見かけると、ちょっと恐怖心を覚えたり。
ヴィジュアル系のライブに来る人って、見た目でわかるものなんですよ。
はっきりしない色を纏う街中の大多数を占めるカメレオンみたいな人を掻き分けて颯爽と歩く、全身黒のお姉さん方。
ワタクシもそうでありたいと思っているのですけれども。
そしてそんな人が集まるヴィジュアル系のライブというのは、どこかちょっと怖いものもありつつ、自分が一番好きな自分でいて馴染む場でして。
みんな平日はカメレオンしてるのかな。でも本当は毎日いまの自分で在りたいって感じてるのかな。それとも逆にこの場で浮かないために頑張って作ってきたのかな、とか。
いろいろ思うことはあるのですけれども。
そしてそんな人々が、きっとそうなのでしょうけれども、どこか深い闇と傷を負った仲間のような気がしてしまって。そんな人が多いんだろうなって。
音楽による自傷行為と言いますか、辛い感情や情景を描き出した音楽表現を好む人がきっとヴィジュアル系愛好者には多いのかな、と。自分がその一員なのですが。
自分の辛さを見つめ直す瞬間が、その音楽に触れている時間である。と。
日曜日のO.AだったROTE、以前渋谷サイクロンにワンマンを観に行った際、演出として天井からロープが下がっていて。ハングマン。
ワタクシ、それがトラウマなものでして。今書きながらその光景が浮かんで若干吐き気を催してきてはいるのですが。
「痛み」「傷」「闇」、そういった情景を描くための道具なのだけれども。
あの空間に、自分と同じ体験を持つ人はどれくらいいたのかな、なんて。数人は居そうなものですが。少数派の中のさらに少数派。小さな世界。突き詰めていけば、自分自身がひとつの世界である、というところに行き着くのだけれども。
今、こうして寝る時間をとうに過ぎているのにキーボード叩き続けているのも、感情のやり場を求めているからで。
閉じ込めておけばそれだけ発酵していくんですよね、こういうものって。
軽々しく人に話せる内容じゃないからこそ、自分の頭に閉じ込めて。どんどん腐って、侵食していって。
彼らのように、表現として昇華してしまえば。道具として使うことを選べば。少しは発酵も止まるのかしら。
過ぎ去った恐怖に怯え続ける日に終わりは来るのだろうかと。
「多数派」の人々はこんな風にたかだか一本のロープに吐き気を催すことはないのだろう。
経験が無い、知らない、空想と現実で乖離している。
あのドアの重さを理解しろだなんて言わない、ただ同じ光景を二度と誰も、誰に対しても見せてくれるなと願うばかり。
そんなものは芸術の世界の中だけでいい。それを好む少数派にだけ、見せてくれればそれでいい。我々は自分の闇や傷を、そこにぶつけるのだから。